中学校の部  

  目の前に立つ山
       
         高知市立鏡中学校
           一年 カーン・マヤ・エリザベス
 
 朝起きて、窓に視線を移すとき、一番初めに目に飛び込んでくるのが「国見山」だ。私はこの山の景色を、生まれたときからいったい何度見てきたことだろう。
 私たちはもっぱら「国見山」という名前に親しんできたが、別名は雪が光る山と書いて「雪光山」だ。平地ではめったに雪が降らない高知だが、この山では冬になるとてっぺんに雪が積もって、別名のように白く輝く。
 この山は、我が家の真正面にドカンと座っている。吉原地区と柿ノ又地区にはさまれるようにあり、高さ九三四メートル、先が栗の実のように尖って、自分の頭より低いところに住んでいる私たちを見下ろしている。そばに住んでいると、数字よりもっともっと高く感じられる。
 日本一の富士山じゃあるまいし、ほかの山とどこが違うのかと思う人もいるかもしれない。確かに、全国を探せば、同じ名前の山なんていっぱい見つかる。一見、何のへんてつもない山だ。
 しかし、この山は私にとって特別だ。この山は私の人生にずっとついてくれている。窓に目をやると、いつも私を見守ってくれている。それだけでなく、私の生活にも多く関わっている。
 何より、私たち家族の楽しみになっているのはその景色だ。四季を通して、豆つぶのように小さく見える国見山の木々が、ころころと美しく色を変えていく。春の山桜や秋の紅葉、そして冬の雪景色などだ。
 国見山は私たちの家の西側、太陽が眠りにつく方角にある。時々、母が外から手招きをしながら、「来て来て!」と私を呼ぶことがある。行ってみると、太陽が沈んだばかりの空が目に入る。陽の光を残して雲は桃色に染まり、空はまだ赤みをおびている。母と一緒にそれを見ながら、ああ幸せだな、と思う。
 美しい国見山に、家族そろって登ることもある。もう十回以上登ったと思う。中でも、毎年元日の朝、初日の出を見にこの山に登ることが、我が家の一年で最初の行事だ。毎年ものすごく寒くてガタガタふるえるけれど、頂上でチョコレートをかじりながら太陽が顔を出すのを見る気持ちは、とても言葉では表せない。
 「国見山」といっても、国が見渡せるわけではない。調べてみると「国」というのは高知市の市街地のことらしい。国見山の頂上に立ち、霞がかった高知市の街並みを見ていると、これは国と呼ぶのにふさわしい、という気がしてくる。手前の下の方には、白い屋根の我が家が見える。あれ、あんなに小さかったっけ、とおかしくなる。もう一つ、いつも思い浮かべる。この頂上から我が家につながるロープウェイができたら、さぞかし楽しいだろうな、と。